見えるものにではなく、見えないものに...

ここ何日かで私達の身のまわりにいろんな事が起こった。直接ジェームスと私に何が起こったわけではないのだけど、ニュースを見ていると悲しいことが多い。まずは身近に起こったことから。近くのウォルマートで銃をもった男が無差別に店員やそこにいた客に向かって撃った。2人の若い命が失われた悲しい事件。それも義お父さんのすぐ近くのウォルマートで私達もよく行く店なのですごく身近に感じた。ニュースではそのときに周りにいて、パニック状態になって911番に(日本の110番)電話する2,3人の声が流された。恐怖で震えた声。助けてーという周りの人の叫び声。テレビを通して聞いてるだけで本当に恐くなってしまった。


そして2つ目は月曜日に教会で。月曜はジェームスが5時半から9時まで講義があるので、大学で降ろして、私は教会で20代後半、30代の女性15人くらいでバイブルスタディーがあるのでそれに行っている。いつものように聖書の学びをしてから4つのグループに分かれてお祈りを始めた時に、黒人の20代か30代くらいの女の人が入ってきた。見たからにちょっと何か問題を抱えた感じの人で、入ってくるなり、大きな声で「悪魔が私にとりついて離れない」「一日中歩き続けたからもう疲れてくたくただ。」「昔は私も美人で人気もあった」とか色々と意味のわからないことを言いはじめた。たまたま牧師夫人がそのときは来ていて、彼女が「一緒に祈りませんか?」って聞いたらなぜか逆上して大声で叫び始めた、そして「もう死にたい」と口にするので、そこにいた皆に緊張が走った。ウォルマートの犯罪もそうだったように、この頃精神的な病気を持ってる人の犯罪のニュースを聞く。どう見ても、この女性も正気じゃない。目が血走っていて、まわりにあったイスやテーブルを蹴り飛ばしたり。牧師夫人がコソコソと隣の部屋で遊んでいる子供達を裏のドアからそっと出して違う部屋に入れて鍵をかけ、警察にすぐ電話するように一人の女性に頼んだ。ドアの近くに座ってた人達は彼女が見ていないスキに外に出て行った。私は悪くもドアから遠く、彼女の近くにいたので、心臓はドキドキ。狂ったように彼女は服をすべてぬいで裸になった。私は少しホッとした。というのも、これで彼女が銃などの武器を持っていないって事がわかったから。彼女は「小さい頃に自分の兄にレイプされたんだ」「私はもう何の役にも立たない人間なんだ」「誰も私のことなんて愛してくれない」と言う。私は心の中で何度も何度も「でも神様はあなたのことを愛してるよ」と言いたかったけど恐怖で勇気がなくて何も言えなかった。何人かが彼女の説得にあたろうとしたが、彼女は白人とは話したくないと言う。うーん。ここにいる中で白人じゃないのは、私と隣に座ってるメキシコ人のルースだけ。正直、ゲッと思った。ルースはしっかりした人なのでとっても落ち着いて愛をもって彼女に話かけてくれました。彼女も落ち着いて、服を着て「家に帰りたい」と言ってところに警察がついてそこから警察にまかせて、皆それぞれに帰って行きました。私はその後もドキドキがとまらなかったけど、大学にジェームスを迎えにいって彼の顔を見たときはほんとホッとしました。その夜もずっと彼女の事が気になって、祈った。きっと、本当に悲しい、辛い思いをしたんだろうなと思う。


3つ目はハリケーン、カトリナ。このハリケーンが来る3,4日前にはニュースでは避難するようにさんざん警告が出ていた。でも多くの人が避難せず残り被害にあった。避難しなかった人には2パターンがあって、一つは一番被害が多きかったニューオーリンズの町は多くが貧しい黒人が住むところ。避難したくても車もなければ行くところもない。もう一つは、自分達の家、家財などを置いて行けない。盗まれてしまうかもしれない。とかいう私には理解出来ない理由。ハリケーンが来た前の日、テレビでインタビューされた人が平気に「買ったばかりの大画面のテレビをおいていけない」って言ってた。一体彼はどうなったのかなあ?今週は仕事が休みなので家でテレビをつけているとずっとハリケーンのニュースが流れている。本当に見ていると涙が止まらないような映像ばかり。浮いている死体をかきのけて避難する人の姿、屋根の上に20人くらいの人がどんどん高くなる水位におびえ、助けを叫んでる姿、避難したドームでは親と子供がばらばらになってしまって、泣き叫ぶ子供達、死んだようにぐったりした子供を抱きかかえてテレビの画面に向かって「お願いします。長けてください」っていう女性。誰もが口々に「こんな災害がアメリカに?」と。テレビで見る映像もアフリカの難民キャンプを見ているような錯覚に。避難しなくてなくなった多くの人が、まさかそこまで最悪の影響があるとは想像しなかったはず。私達が日々普通に生活していると、あまりにもたくさんの物質に恵まれていて当たり前になってることが多くて、まさか私達が住むところ、食べるもの、または命をなくすなんて想像できない。でも現実に最近では日本では地震列車事故、インド洋での津波イラクでの戦争、そしてハリケーン、他に毎日ありとあらゆるところで事故や事件がある。私が阪神大震災の時につくづく思わされたのは、私達は目に見えるもの、物質的なもの(家、食べ物、着る者、高価な電気製品などなど)または地位(会社、仕事など、名誉(他人が自分をどう見ているかなど)などに頼ってして生活することが多い。でもそういった目に見えるものはほんとアッという間に失くしてしまうことができる。その時にもう絶望の底に落ちてしまう。でも見えないもの、具体的にいうと、神様(神様の愛、そしてそれによって得られる家族の絆、友情)を見ていると目に見えるものを失くした時にも絶望することはない。私もジェームスも日々シンプルに生きるように心がけている。高価なものは買わない。必要なものだけ。それはなぜかというと物質的なものに心を奪われたくないから。もちろん、時々贅沢もするし、ケチケチしているわけではないけど。


うーん。色々書いているとすごく長くなってしまったのでこの辺で。最後に私の大好きな聖書の箇所を。


第二コリント人への手紙4:18
私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


We fix our eyes to not on what is seen, but on what is unseen.
For what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.